保育園での役職者といえば、園長、副園長、主任保育士だけなのでしょうか?それ以外にも「副主任保育士」とか「専門リーダー」とかが役職者となっている園も多いと思います。

さて、役職者は役職者としての仕事ぶりをしているでしょうか?具体的には、その他の人と同じ作業をしていないでしょうか?その他の人と同じ視点に立っていないでしょうか?

今回は役職の意味と狙いを考えます。

役職とは外部から見たときにどのような仕事をする人なのかがわかりやすくするための「ラベル」だと考えています。また、その「外部から見たときの期待値」に答えるために役職を与えられた人はしなければならないことが増える「ラベル」とも言えます。

具体的に言うと、「園長」と呼ばれる人は外部から見たら「この人がこの園で起きることの全てに責任を持っているとともに、この人がこの園の基本的な方向性などを決めているんだな」と期待されます。

したがって、園長は園の内部の人たちに対して「自分が園で起きたことの全責任を取る」と言わざるを得ない状況に追いやられるのです。変な表現ですが、役職がついたとしても、人間的には大して変わらないにもかかわらず、しなければならないことが増えるのです。

もちろん責任(しなければならないこと)が増えるということは、その人は他の人よりも処遇が高くなければなりません。順番が大事で、「しなければならないことが他の人よりも多い、または、重い」からこそ、「処遇(給与・賞与)が他の人よりも多い」のです。

では、役職のある人は何をしなければならないのでしょうか?

役職者はその他の人と違った視点に立って、各園の保育目標に向けて「他人が動きやすいように振る舞う」ことが求められると思います。例えば、園長であれば職員が働きやすくなるように制度を変えたり、方針を変えたり、課題に対していくつかの解決策の中から決断したりすることが求められます。

主任保育士であれば園長の定めた方針に従って、実際の保育の運営の仕方を工夫したり、他の人に指示を出したりしなければなりません。また、他の人の仕事を任せたり、他の人を指導したりして、自分自身の仕事ができるように時間と余裕を作り出さなければなりません。

なかなか理解されにくいかもしれませんが、役職者は出来る限り自分で作業しないようにすることが重要になります。自分でやれば直ぐにできることがたくさんあり、自分以外の人がうまく出来ないことが「気になる」人が多いと思いますが、どのような組織でも自分以外の人が活躍できるように仕組みを作ることが、役職者に求められる最大の仕事になります。

もちろん、緊急性が高かったり、重要性が高かったりする業務においては自分がしなければならないこともあるでしょうし、他にやれる人がいない場合などには自分が手を動かすことも大切だと思います。ですが、保育園に限らず多くの組織は今から将来に向かってずっと続けていくことが前提となっています。「自分さえ出来ればそれで良い」という考えで進めていくと、「自分がいなければこの園は回らない」という状況を生み、往々にして「自分はこの園に必要不可欠な存在だ」とか「自分は周りから必要とされる存在なのだ」とか考えるようになって、最悪の場合「このかけがえのない自分に対して、大した価値のない他人が反抗するなんて許せない」という勘違いまで引き起こしかねません。

ほとんどの人はそんなふうに自覚していないと思いますが、気が付かないうちにそうなっている人はたくさんいるのではないでしょうか。例えば、他人に仕事を任せないで抱え込んでしまっている人、後輩を指導するのではなく「背中を見て覚えなさい」と言ってしまう人、出来ないポイントだけ指摘して、その人の良さを潰している人は、上記の「勘違い」の一歩手前か、半分勘違いしているように思います。

役職者はそうならないように、常に自分を戒めて、自分以外の人が出来るように、自分以外の人を成長させることが自分の成長だと考えるようにしなければならないのだと思います。

基本的に自分を成長させることは、自分の努力次第でなんとかなるので、そこまで難しいことではありません。(大変なことではありますが)一方で、他人を成長させることは、自分では同しようもないと思えることがたくさんあるので、一般的に難しいことになります。そして間違いなく大変なことです。ですので、役職者はその大変で難しいことをしなければならないので、処遇(給与・賞与)が他の人よりも高いのです。

このようなことを言うと、今の園長先生とか主任保育士の方から批判を受けるかもしれませんが、私個人としては自分自身を成長させるとともに、他人を成長させることを常に意識したいと思っています。それが今の恵まれた処遇に対する「義務」だと思っています。

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