ふと気になったので、つぶやいてみる。

どの園でも保育の質を高めようという取り組みを(建前だけでも)しているはずだ。少なからず、うちの園でもその取り組みをしている。だが、果たして保育の質は高くなったのだろうか?いや、そもそもうちの園の保育の質は高くなかったのだろうか?

保育の質はその名の通り「質」なので量的な比較ができないものなのかもしれない。それ故、質が高いかどうか、質が基準よりも高いのかどうかは比べようがないことなのかもしれない

そうなると、自分の園がしている保育の質が高いかどうかは、ぶっちゃけた話、感覚的なものだけに過ぎないのだ。そうすると、園長先生が「うちの園の保育の質は高いんだ!」と言ってしまえば高くなるし、保護者が「あの園の保育の質は低い」と決めてしまえば低くなってしまうものらしい

だとすると「保育の質を高めよう!」という取り組みは意味があるのだろうか?不安になる。もしかすると「質を高めないといけない」という「正しい言葉」だけを信じて頑張らされているのかもしれない。

誤解のないように言っておきたいのだが、保育の質を高める必要がないとは言っていない。保育の質は高いほうが良いとは思っている。ただ、どんなことでもある程度のところまでは労力をそれほど必要としないが、ある程度からは急に労力が必要になるから、そこそこでいいんじゃないか?と言いたいだけだ。

例えばテストの点数で、0点の人が60点になるのは正直簡単な話だ。60点から80点にするのは少し大変だができないことではない。80点を100点にすることと比べれば3分の1位の労力で済む。それと同じことが起きてやしないか?が気になっているのだ。

保育の世界は真面目な人が多いから、そこに労力をかけ続けてきたんじゃないかな?と思う。そして99点をとっているのにもかかわらず、100点が何かわからないから、まだまだ60点ぐらいしか取れてないと思ってものすごいエネルギーをかけて努力しているんではないだろうか?それは努力であっても無駄な努力ではないだろうか?

そこに力を入れるのであれば、半分の力で60点の成果を出してより自分の人生を充実させたほうが、数多くの子どもたちに良い保育ができるのではないだろうか?

保育の質を高めなければ!と鼻息荒く語ってくれた保育士さんと話をしていて、ふと自分の園は保育の質が高いのだろうか?もっと高めないといけないのだろうか?どこまで高めればよいのだろうか?そのためにどれだけのエネルギーを使わないといけないのだろうか?が気になった。

マネジメント
おすすめの記事